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清波(きよなみ)は、日本海軍の駆逐艦〔#達昭和17年6月p.25『達第百八十六號 昭和十六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻、潜水艦二隻及掃海艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十七年六月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 大波(オホナミ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 清波(キヨナミ)|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第百八十五潜水艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 呂號第三十七潜水艦|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 第二十四號掃海艇』〕。一等駆逐艦夕雲型の8番艦である〔#昭和17年12月31日艦艇類別等級表p.4『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|夕雲型|夕雲、巻雲、風雲、長波、巻波、高波、大波、清波、玉波、濱波』〕。1943年(昭和18年)7月20日、夜間空襲を受け沈没した駆逐艦「夕暮」救援中に撃沈され、2隻ともほぼ総員が戦死した〔#S1704七戦隊日誌(7)p.35『二.被害(イ)夕暮 轟沈 (ロ)清波 夕暮ノ救助ニ向ヒタル儘消息不明(註)夕暮清波共乗員ノ状況不明手掛リナシ』〕。 == 艦歴 == === 竣工まで === 1939年度(マル4計画)仮称第123号艦として浦賀船渠で建造。1942年(昭和17年)6月20日、夕雲型7番艦に『大波』、本艦に『清波』の艦名が与えられる〔。同日附で2隻(大波、清波)は夕雲型駆逐艦に類別された〔#内令昭和17年6月(2)p.38『内令第千百六號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和十七年六月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|驅逐艦、一等夕雲型ノ項中「高波」ノ下ニ「、大波、清波」ヲ加フ|潜水艦、一等伊百七十六型ノ項中「伊號第百八十二」ノ下ニ「、伊號第百八十五」ヲ、同二等呂三十五型ノ項中「呂號第三十五」ノ下ニ「、呂號第三十七」ヲ加フ』〕。 8月17日、進水〔#S1708横鎮日誌(6)p.39『一七(天候略)一.浦賀船渠株式會社ニ於テ建造中ノ驅逐艦清波〇七四五進水ス』〕。 同年12月1日附で陽炎型駆逐艦17番艦「萩風」駆逐艦長畑野健二少佐は、本艦艤装員長に任命される。12月3日、浦賀船渠に艤装員事務所を設置〔『○事務開始 海軍西田部隊ハ十一月二十八日横須賀海軍砲術學校内ニ於テ事務ヲ開始セリ|驅逐艦清波艤装員事務所ヲ十二月三日神奈川縣三浦郡浦賀町谷戸六番地浦賀船渠株式會社浦賀工場内ニ設置シ事務ヲ開始セリ』〕。 12月28日附で清波艤装員長は有馬時吉中佐に交代する。有馬は、駆逐艦「菊月」艦長、「山雲」艦長、「綾波」艦長等を歴任し、昭和17年11月28日まで駆逐艦「親潮」駆逐艦長だった。 本艦は1943年(昭和18年)1月25日に竣工〔#秋月型(潮2015)224頁『清波(きよなみ)』〕〔#S1801舞鎮日誌p.44『廿五日一四〇〇清波艦長(宛略)驅逐艦清波ヲ浦賀船渠株式會社ヨリ受領セリ(一三〇〇)|電報』〕。艤装員事務所を撤去〔『○事務所撤去 驅逐艦清波艤装員事務所ヲ一月二十五日撤去セリ』〕。正式に舞鶴鎮守府籍となり、警備駆逐艦に指定となる〔#内令昭和18年1月(2)p.40『内令第六十三號|驅逐艦 清波 右本籍ヲ舞鶴鎮守府ト定メラル|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 清波 右警備驅逐艦ト定メラル|第二十四號掃海艇 右本籍ヲ舞鶴鎮守府ト定メラル|舞鶴鎮守府在籍 第二十四號掃海艇 右警備掃海艇ト定メラル|昭和十八年一月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎』〕〔#S1801舞鎮日誌p.44『廿五日一三四七大臣(宛略)二十五日附清波ノ本籍ヲ舞鎮ト定メラレ警備驅逐艦ト定メラル』〕。そのまま横須賀鎮守府部隊に編入された〔#S1801舞鎮日誌p.41『廿五日〇一二八總長(宛略)大海機密第二五〇一二八番電 戦時編制中改定ノ件(一二五附)(本府關係)(清波ヲ横鎮部隊/二十四掃ヲ舞鎮部隊 ニ編入)』〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「清波 (駆逐艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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